死のうとした

ハラちゃんが亡くなったと聞いたとき、一度死を決意した人の意思は簡単にかえられないのだ、と思った。

 

窓のない部屋での勤務は5日間で耐えられなくなって逃げるように帰った、けどそれ以降ずっとメンタルがおかしくて、重ねて長いお客様とのトラブルがあって尚更病んでしまった

そのお客様はいわゆる善意の悪人タイプで、前々から負担に思っていたのだけれど、私が病んでいるときにプライベートに干渉したメールが届いて限界がきてしまった。

とてもお世話になったので申し訳ない気持ちもあり、3日間悩みに悩んだけれど、自宅でひとりきりになるたびにそのメールを思い出しては泣いてしまうので、「申し訳ありませんがもう関わらないで下さい」と伝える以外になかった。

軟禁から半月、そしてトラブルも今日やっと解決して、もうこれで大丈夫、と思ったのに、またひとりになった矢先、ふとスカーフに手が伸びていた。

死のうとか死にたいとか思って、薬をたくさん飲んでみたり首を吊ろうとしたことは随分前からあった。

最初のころの試みは、その動機とともに今よりもずっと可愛いもので、色々と詰めが甘く未遂とも言えないような状態で終わるばかりだったが、何度も同じようなことを繰り返していくたびに方法の精度が上がってゆくのを実感している。

今日は結んだスカーフを首にかけ、体重をゆっくりかけて、ブラックアウトしそうになったところで思い止まった。たとえ何度同じことを繰り返そうと、こうやって思い止まればいいのだと私は思っている。

けれど、酔った勢いでとか、薬で朦朧としている時にもしまたスカーフに首をかけたとしたら、本心はそんなつもりではなかったのに、本当に死んでしまうのではないだろうか。

こういうことを実行に移してしまうのは、やはりそれ以外何も希望が見えないときだ。そこまで来てしまうことはそうそうないはずだが、その僅かな時間の間は誰の声も耳に入らない。

 

長く心を病んで来てもう十分に疲弊したので、誰にも迷惑がかからないならいつでも死んで良いと思っているが、自死すれば残った誰かに必ず負担をかけてしまうだろう。

だから、毎日泣き続けることになっても、私は生きていなければならない。