11・8の記録

朝起きたのは10時とかそのくらいだが、一度吐いて、床で眠った。目が覚めたら面談の15分前だったので、素っぴんのままで病院に向かいカウンセリングと面談を受けて、それからタリーズに寄って普段は飲まない甘いラテを飲みながら、過食のための材料を買いつつ、頬張りつつ、家に帰った。

それから1度吐いて、ぼんやりドラマを観て、もう一度吐いて、二丁目で軽く2杯。恋愛の話をしてどうしようもなく寂しい気持ちになった。ネコのような性格は愛人向きだと言われた。

そのまま飲んでいてもよかったけれど何となくホストと連絡をとって、ボールペン一本で飲みに行くよと言ってそのまま歌舞伎町へ向かった。会計27万。

シャンパン片手にカチカチの胸をいろんなキャストに揉ませたけど何も思わない。私のおっぱいだけれど私のおっぱいではないから。私の皮膚は私の物だが、その下にあるのは無機質極まりないシリコンバッグであるから、何も思う事はない。

それから、店に行かないことを口実に担当に自転車を強請った。彼は買ってくれると言った。

金を払って彼に寝てもらうつもりは一切ない、そういうのは惨めだと思うから。

 

酔うと感傷的になったり暴力的になったり、自分が昼間は秘めているはずの意志が剥き出しになる。そして私自身、そうなった自分をどこまで抑えきれるかわからず、本能のままの自分を恐れ、恥じているのだ。

たまに人を殴ったり詰りたくなるが、詰るのはもともと苦手だし、かといって暴力に走れば自分の経験上の限界まで相手を傷つけてしまうだろうと思って、自制している。でも本当は思い切り私の暴力的な汚い部分を受け止めてくれる相手が欲しいのだ。

だが実際そういう都合よい相手など現れないし、また数少ない人間関係を壊してしまうのも怖くて、私は自分に暴力を振るうのだ。毎日毎日。胃が破裂するほど食べ、チューブを突っ込んでは血が出るまで吐く。自傷行為ともいえるこの過食嘔吐は、怠惰かつ無力な自分でもできる唯一の懺悔であり、浄化行為であり、また暇潰しや恍惚である。

 

 

どうせならぐちゃぐちゃになるまでぶち壊してしまうか、いっそのこと死ねば良い。

最後の晩餐は何にしよう?

愛する祖母の手作りのかき揚げが食べたいけれど、祖母は一緒に食べてくれないだろう。

私の摂食障害を知りながらも、自分の体重や食事制限を私に語り、素人目線の栄養指導をしてくる祖母の存在が疎ましい。だが彼女は私にとって紛れもなく母親のような存在であって、私の死や私の命の危機によって高齢の彼女を悲しませることはたまらなく心が痛む。

祖母が私にかけた期待は、私にとっては些か重すぎるものの、それを断固として受け入れず跳ね返してしまうほどの勇気もない。だから、頑張って出来る限り真人間のふりをしなければならない。

 

”新宿ばあちゃん”は滅多に会えない私にいつもご馳走を振る舞ってくれた。祖母はそのことを嫌って、私に油物を食べないよう念押しした。

 

油も砂糖も炭水化物もすべて諸悪の根源だ。私を太らせ、病気にさせ、死に至らせる。その間違った知識はどこで覚えた?――間違いなく祖母が教え込んだものだ。